眞鍋かをりの現在は社会活動家!事務所と裁判沙汰に!?発達障害の噂は本当だった!

バラエティ番組を中心に活躍し、自身の運営するブログの閲覧数が多い事から「ブログ女王」として名を馳せた眞鍋かをりさん。

かつては様々な騒動に巻き込まれたり、結婚の際にも世の中から批判を集めることになりました。

現在は社会活動に励んでいるようですが、どのような活動を行っているのか詳しく見ていきましょう。

眞鍋かをりの現在|今何してる?

眞鍋かをりさんは2015年6月26日、自身のブログでロックバンド「THE YELLOW MONKEY」のボーカル・吉井和哉さんとの結婚を発表し、同年10月には第一子を出産。

妊娠発表の際には産休を取り、当時レギュラー出演していたラジオ番組「大竹まこと ゴールデンラジオ」の卒業も決まりましたが、芸能活動の引退は発表していません。

現在は子育てをしながら時々バラエティ番組に出演するなどの活動をしています。

公式ブログやSNSのアカウントを使ってファンと交流を取る姿が見られ、ネットを使った発信活動は度々話題になっている眞鍋かをりさん。

その影響力を活かし、現在では社会問題に関する情報の発信に取り組む姿が確認できます。

児童虐待の防止活動

児童虐待のニュースには注目していたものの、”どうやってこどもの役に立てばいいか”という壁があったという眞鍋かをりさん。

そんな眞鍋かをりさんは「こどものいのちはこどものもの」という取り組みに2018年6月から参加しています。

コラムニスト・犬山紙子さんが発足したこの取り組みは”児童虐待”や”児童福祉”に関しての活動を行うものです。

具体的な取り組みとしてSNSでハッシュタグを使い意見収集を行い、世田谷区長の訪問を始め多くの市区町村を対象に働きかけました。

活動の一環として2018年11月20日から国内最大級のクラウドファンディング会社「Ready for」とコラボして開始された社会的養護啓発プログラム「こどもギフト」では、

2018年12月時点で1400万円以上の支援金を確保。

こどもたちのためになる経験のために施設に寄付しています。

社会的な取り組みに積極的な眞鍋かをりさんですが、芸能活動は控えめだと言われるようになりました。

眞鍋かをりさんはなぜ芸能界から消えたと言われるのでしょうか。

眞鍋かをりが消えた時期と原因

眞鍋かをりさんは1999年雑誌「ホットドック・プレス」のドリームガールグランプリを受賞してグラビアアイドルとして活動していました。

2004年6月30日からブログ「眞鍋かをりのココだけの話」を開設すると、日常生活における独特の着眼点や発想に注目が集まりたちまち人気ブログになります。

7月12日に投稿した記事でトラックバック(ブログ記事が他人のサイトで紹介される機能)数で日本記録を打ち立て「ブログ女王」と呼ばれるようになりました。

2005年にはブログ記事の内容をまとめた本「眞鍋かをりのココだけの話」を発売すると20万部を突破する売れ行きを記録し、話題の人物として同年末に行われたの「第56回

紅白歌合戦」の審査員も務める活躍を見せています。

その後はコメンテーターとして情報番組やテレビ東京のスポーツニュース番組「メガスポ!」でニュースキャスターを務めていた眞鍋かをりさんですが、2009年にある問題が発覚したことでテレビ出演が減ってしまう事態に陥ります。

事務所と”泥ぬま”裁判沙汰に

眞鍋かをりさんが芸能界に入るきっかけとなったスカウトをしたのは「アバンギャルド」という芸能事務所です。

愛知県出身の眞鍋かをりさんは高校時代までは地元で過ごし、横浜大学に合格した際に上京します。

上京後わずか14日で事務所のスカウトを受け芸能界入りを決めたエピソードを、2018年5月13日放送のトークバラエティ番組「誰だって波乱爆笑」で披露した眞鍋かをりさん。

「上京後当時地元にはなかった牛丼屋”吉野家”を見つけて感動して、憧れだった牛丼を食べました。出たところで(スカウトの方から)名刺をもらいました。」
「もう年中水着着てました。服を着てる時間の方が短かったくらいです。」

多彩なキャラクターのグラビアアイドルを輩出していた「アバンギャルド」は、当時グラビアアイドル全盛期の時代に事務所の看板が大きくなっていきます。

2002年には所属タレントをレースクイーンとして派遣する事業を開始し多くのアイドルファンやレースクイーンファンを引き入れることになりました。

芸能事務所として波に乗っているかのように思えた矢先、発覚したのは”法人税法違反”です。

2009年1月12日、東京国税局が2008年までの3年間で11億円の所得を隠し、所得税3億円を脱税した容疑で「アバンギャルド」とその社長が東京地検に告発されることになります。

2008年2月の時点で国税局の査察があったことも明かされ、その直後に2008年3月31日事務所のサイトで芸能プロダクション「アヴィラ」との業務統合を発表し、所属タレントは眞鍋かをりさんも含めて同年3月6日に創設された新芸能事務所「アヴィラ」に移籍しました。

”脱税”で逮捕されたのは事務所社長ですが、その後眞鍋かをりさんの自宅が東京地検の家宅捜索対象となってしまいます。

原因は当時眞鍋かをりさんが住んでいた賃貸が事務所名義で借りられていたことです。

眞鍋かをりさんは精神的苦痛を受けたとして2009年12月に事務所との契約解除の民事訴訟を提訴します。

一般的な民事裁判の期間が1年から1年半ほどと言われているのに対し、眞鍋かをりさんと事務所との裁判の判決が出たのは2年後と長く続き”泥沼裁判”と報道されました。

眞鍋かをりさんが訴訟を起こしたことを受け「アヴィラ」側もすぐに行動を起こします。

2010年3月に「アヴィラ」がマスコミ各社に向けて発表したのは眞鍋かをりさんの月給が420万円で年収で5000万円程あるということです。

その給与の一部を眞鍋かをりさんの母親が代表を務める会社「マナベ電子工業」に業務委託料という名目で振り込み、意図的に収入を低く装って”脱税”を図っていたという

衝撃の内容まで明かされることになりました。

2010年3月2日発売の写真週刊誌「FLASH」では

この事務所(元アバンギャルド)はタレントや社員の給料が安いということが度々話題になっています。
眞鍋かをりさんもデビュー後すぐに不満を漏らすようになっていました。
引用:FLASH

と眞鍋かをりさんの”安い月給”という点に触れています。

他の週刊誌では

「働いても働いても月給が30万から上がらない。」

と嘆いていたことが事務所独立の原因とする見方を示していたものもありました。

そういった報道からネット上では眞鍋かをりさんに対しての同情の声が挙がっていたのですが、月収420万円となれば話は別です。

「薄給キャラ崩壊(笑)」
「少なくともこき使われているという噂は嘘なんだね」
「さんざん稼いでおいて事務所にたてつくとか・・・」

といったネット上の書き込みが増えることになります。

さらに「アヴィラ」は

「2010年5月に眞鍋かをりさんが2010年1月1日以降の既に出演が決定していた業務を含め、当社(アヴィラ)の指定する全ての業務を拒否した」

として専属契約違反による損害賠償3億円を求める反訴を起こします。

眞鍋かをりさんはこの時既に別の芸能事務所にマネジメントを依頼し芸能活動を続けようとしていました。

半ば”引き抜き”のような状態で独立を図ろうとした眞鍋かをりさんに対し、事務所移籍前はそれまでの仕事をしっかりと終えてから辞めてもらうという”芸能界の常識”を突き

付ける形で反訴した「アヴィラ」。

当然トラブルを抱えるタレントはテレビ局側も番組起用を避けます。

眞鍋かをりさんのテレビ出演は減り、レギュラー番組として出演していた「とくダネ!」の木曜コメンテーターのみとなってしまいました。

枕営業や年齢詐称が発覚

裁判の争点は事務所との契約無効であったのにもかかわらず、自身の”月収420万円”や”脱税疑惑”まで持ち出され手痛いカウンターを喰らってしまった眞鍋かをりさん。

一刻も早く契約無効を「アヴィラ」側に認めさせようと、芸能界の”タブー”に触れてまで裁判を収束させようとします。

眞鍋かをりさんが主張したのは「アヴィラ」の異常な業務形態でした。

眞鍋かをりさん側が裁判所に提出した準備書面の中で触れたのは

「マネージャーからアヴィラオーナーと関係を持つことで番組に出演できるようになったタレントがいると頻繁に聞かされた」

と社内での”枕営業”の実態。

「(アヴィラで)脱税した金はオーナーが気に入った女性タレントや交際しているタレントに渡していた」

と指摘し、さらに

「眞鍋かをりさんが事務所側から、もし妊娠した場合は中絶しろ」

と支持されていたことを明かしました。

裁判の供述では、「アヴィラ」のオーナーが脱税した金を利用し芸能界の裏の支配者に領収書のない”みかじめ料”(暴力団がショバ代・用心棒代 として受け取る金銭)を支払っていたことまで明かします。

事務所との泥沼裁判は2011年12月に裁判所が「2009年末の時点で契約関係が終了している」と判決を下しやっと収束します。

眞鍋かをりさんは2010年12月15日にブログを更新し、

「今までの人生の中で起こったことは、私にとってすべて貴重な経験であり財産です。」
「そう思えたのも、皆様からたくさんの応援と温かいお気持ちを頂いたおかげです。」
引用:眞鍋かをり オフィシャルブログ

と報告しました。

判決が出て間もない2011年1月20日には芸能事務所「ノースプロダクション」に眞鍋かをりさんの所属が決まったことを発表します。

泥沼裁判で明らかになった年齢詐称の事実を取り上げたのは「週刊文春」でした。

「訴状にある原告(眞鍋かをりさん)の生年月日が当時のプロフィールと矛盾している」と年齢詐称が発覚した眞鍋かをりさん。

同誌が直接取材をすると

「ごめんなさい。いまはタイミング的にお話しできません。」
引用:週刊文春

と答えています。

「アヴィラ」所属時の眞鍋かをりさんの公式プロフィールでは、「昭和56年3月31日生まれ」となっていましたが、新事務所の公式プロフィールでは生年月日を「昭和55年5月31日生まれ」と改め、304日の鯖読みを認める形になりました。

2013年10月1日に放送されたバラエティ番組「有田とヤラシイ人々」では眞鍋かをりさん本人が出演し年齢詐称を告白します。

「大学入学と同時にグラビアアイドルデビューした当時、前事務所の社長が”18歳のグラビアアイドルとして売り出そう!”と言ったのがきっかけです。」
「大学1年という部分は残したまま誕生日を5月から3月までずらしちゃったんですよ。」
「(言い出す)タイミングがなくて、30歳までずっと・・・」

テレビ番組で鯖読みを告白しスタジオは衝撃に包まれました。

前事務所の黒い噂を考えると眞鍋かをりさんの年齢詐称も本人に非はないようにも思えますが、ファンを騙していたのは事実。

同番組内では眞鍋かをりさんが謝罪の言葉も述べています。

「ファンの方から(違う日付なのに)誕生日プレゼントをもらうのが、ごめんなさい、ごめんなさい、って思っていました。」

ブログ閉鎖

眞鍋かをりさんと言えば”ブログ女王”のインパクトが大きいのではないでしょうか。

一人称を「オイラ」と呼びながら面白おかしい文体が人気を集め、2005年12月5日には電気通信事業「ニフティ」が発足した「ブログ普及委員会」の委員長に眞鍋かをりさんが就任したことで話題になりました。

そんな人気ブログ「眞鍋かをりさんのココだけの話」は2010年10月31日付で閉鎖されることが発表されます。

最後の更新は2010年1月12日で内容はパリ旅行の最終日に食べた牡蠣が原因で食あたりを起こしたというものです。

記事内では

パリの旅行記も徐々にあげていこうと思います。
引用:眞鍋かをりのココだけの話

と、次の記事の投稿を予告していたものの、その後の更新はありませんでした。

閉鎖理由には触れられていないものの、時期が「アヴィラ」との裁判と重なることからブログの更新に影響が出たものだとされています。

しかし1年4か月ぶりに眞鍋かをりさんはLivedoorblogにて新ブログ「眞鍋かをり Official Blog」を立ち上げます。

元祖”ブログ女王”の復活は多くのメディアで報道され、初投稿では

ずっとずっと、書きたかったブログをこうして開始することができて本当にうれしいです。
(中略)
更新ができなくなってからも以前のブログにもらったコメントはすべて読んで元気をもらっていました。
引用:眞鍋かをり Official Blog

とブログの思いを語りました。

そんな眞鍋かをりさんは結婚の報告も自身のブログで行います。

眞鍋かをりの現在|結婚して一児の母に!

2015年6月に眞鍋かをりさんのブログで発表されたのは「THE YELLOW MONKEY」のボーカル・吉井和哉さんとの結婚と妊娠の報告でした。

私、眞鍋かをりはかねてよりお付き合いしておりました吉井和哉さんと結婚し、現在新しい命を授かっていることをご報告させていただきます。
引用:眞鍋かをり Official Blog

眞鍋かをりさんと吉井和哉さんの交際は2012年2月24日発売の週刊誌「FRIDAY」で報じられることになりましたが、その報道が出る前日に眞鍋かをりさんがレギュラー出演する「情報プレゼンテーター とくダネ!」にて生放送で”スクープ潰し”という形で交際を宣言しています。

お相手の吉井和哉さんは1988年に結成されたロックバンド「THE YELLOW MONKEY」のボーカルとして2001年まで活動をしていましたが、2004年7月7日でバンドは解散。

解散後は「YOSHII LOVINSON 」(吉井・ロビンソン)名義でソロ活動も行っていた吉井和哉さんでしたが、2016年1月8日にバンドは再結成しました。

コンサートを開けば必ず満員になるものの、マニアックな路線の音楽のせいかCDはなかなか売れなかった「THE YELLOW MONKEY」。

1995年頃にマニアックさをよりキャッチーな路線に変更するとヒット作を連発させ、「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さんや「スピッツ」の草野マサムネさんが楽曲を高く評価するようになります。

芸能人のファンも多くいる「THE YELLOW MONKEY」ですが、眞鍋かをりさんも中学時代からこのバンドのファンでした。

眞鍋かをりさんが2011年7月29日にTwitterに投稿したのは

「吉井和哉さんが、結婚しよう!でも子作りは無しで!って言ってきたらどうする!?」
「ああああぁでも結婚しちゃう!!」という会話を先週友人としたばかりです。
引用:眞鍋かをり公式Twitter

と、ファンとして吉井和哉さんに憧れている内容です。

各メディアで2011年に知人の紹介によって知り合ったことで交際に発展したとされているお二人。

眞鍋かをりさんからすれば本当に憧れのスターと交際するチャンスを逃すわけにはいかなかったのでしょう。

略奪愛だった?

吉井和哉さんは1992年のバンドのメジャーデビューと同時期に一般人女性と結婚して三女一男と4人のこどもをもうけていますが、その後離婚していたことが眞鍋かをりさんとの交際報道と同時期に確認されています。

各週刊誌の見解でも多く報じられるように浮気癖が原因とされていますが、実情は明らかにされていません。

このことから当時眞鍋かをりさんと吉井和哉さんの交際は”略奪愛”だとする週刊誌の報道が多く見られることになります。

しかし吉井和哉さんの2007年に発売した自伝「失われた愛を求めて」でも離婚の理由について軽く触れられているため、離婚時期と眞鍋かをりさんとの交際期間は被らないことがわかります。

お二人の交際報道があった後2012年3月15日号の「女性セブン」では吉井和哉さんの元妻に直接取材した内容が掲載されました。

眞鍋かをりさんの交際報道を受け吉井和哉さんの元妻に取材しに行くと、富士山を望む広大な敷地に豪邸が建っていました。

「(交際については吉井和哉さん本人から)公表される前日に聞きました。」
「FRIDAYに掲載されている写真を見たら、(吉井和哉さんが)ごみ捨てしてるからびっくりしちゃった。(笑)あんまりそんなことする人じゃなかったから。」

離婚の際には慰謝料はなかったものの、吉井和哉さんは養育費を払い妻子が困ることのないようにとこの豪邸をそのまま引き渡したといいます。

元妻は今回の熱愛報道に驚いたものの祝福しているようです。
「本当に幸せになってほしいです。女性を幸せにしてあげてほしいですし、自分(吉井和哉さん)にも苦しんでほしくないし、だれも泣かしてほしくないです。」
「好きならばもっと慎重に、彼女の幸せを考えて行動してほしいです。」
引用:女性セブン

離婚時期や吉井和哉さんの元妻の話から見ても”略奪愛”ということは考えられなさそうです。

育児放棄で離婚?

眞鍋かをりさんとの交際報道が出た後にも吉井和哉さんのプレイボーイぶりから、一時期は破局や大阪に無名アイドルの愛人がいるなどの噂が立ちましたが、無事にゴールインしています。

眞鍋かをりさんのブログで発表した当時妊娠6ヶ月ということで、出産は2015年の10月。

実際にお二人が入籍して夫婦になったのは2015年9月と第一子出産の直前だったことがわかります。

これに対しネット上の反応は

「出産の前の月に入籍するとか離婚早そう」
「吉井和哉の好感度下がる」

などとあまりいいものではありませんでした。

眞鍋かをりさんの出産後間もない2015年12月23日にニュースサイト「アサジョ」が週刊誌に掲載された”吉井和哉さんの育児放棄”を取り上げています。

眞鍋かをりさんと吉井和哉さんとの間には早くも不協和音が鳴り響くといいます。
「そもそも吉井和哉さんが結婚に前向きではなかった。出産前にも関わらず別居報道が出るなどのゴタゴタもあった。」
「こどもはまだ生後2か月と手のかかる時期であるにもかかわらず、吉井和哉さんは家にも帰らずに育児放棄しているのではないでしょうか。眞鍋かをりさんは育児疲れで周囲に離婚を口走ることもあるのだとか」
と答えたのは週刊誌記者。
ネット上でも「そら見たことか!」というコメントであふれています。
引用:アサジョ

しかし眞鍋かをりさんの事務所は一連の報道を受け、「離婚は絶対にない」と断言していることから吉井和哉さんの育児放棄に関しては真偽が定かではありません。

離婚する前には女の子3人と男の子1人のこどもに恵まれていた吉井和哉さん。

結果的に離れ離れで過ごしているものの子煩悩として知られています。

吉井和哉さんが執筆した自伝では旅芸人の父親が26歳という若さで亡くなったことや、母親との関係が良好とは言えず家出をしていることが語られました。

楽曲制作の際には

「喪失感が僕の表現の基本」

と語っていることから察するに、両親との関係が希薄だったことの反動のなのか、こどもたちを溺愛していたという話もあります。

そもそも育児放棄はこどもに対して無視や養育を怠るなどの心理的・身体的虐待を指す言葉で、眞鍋かをりさんが面倒を見ている間に吉井和哉さんはミュージシャンとして働いて父親としての役目を果たしているのであれば、生活を支えるという観点から見て”育児に参加している”と言えるのではないでしょうか。

長女が同時期に出産して吉井和哉さんは自分のこどもと同い年の孫ができている点から考えても、普通の考え方なら育児放棄はしていないようにも思えます。

眞鍋かをりの現在|ブログ女王の復帰!?

こどもが生まれてから芸能界復帰したタレントを”ママタレント”として起用されることは珍しくありません。

タレントの出産報告があるとどうしても”ママタレ”復帰に注目が行きがちですが、眞鍋かをりさんは2016年から自身の子育ての体験談や悩みをまとめた内容を共働き世帯向けの情報サイト「日経DUAL」にて連載「眞鍋かをり サンカクなきもち」を開始しています。

元”ブログ女王”の経歴や芸能人としての知名度も活かして他の芸能人とは少し違う復帰の形になりました。

2017年5月29日の「眞鍋かをり Official Blog」では、出産前よりもうまく仕事ができないと自身の悩みを明かして子育て世代の世間のママさんから共感を集めています。

なぜか前より脳が回転しない
うまく人としゃべれない
アイデアが思いつかない
仕事復帰後こんな風に感じている方、いませんか?
(中略)
多分理由は「仕事以外、子育てしかしてないから」じゃないかと
友達や仕事仲間とのおしゃべりとかで刺激を受けたり、自分の考えが整理されたりしてたんじゃないかって思うんです。
引用:眞鍋かをり Official Blog

ブログ女王の実力は健在のようで、眞鍋かをりさんの文才に「つい読み入ってしまった」という声も聞こえます。

そんな眞鍋かをりさんは自身の抱える連載の中で発達障害を告白したことでも話題になりました。

眞鍋かをりの現在|発達障害を告白!

2018年にタレントの小島慶子さんが自身の発達障害を告白したことでよりセンセーショナルな問題として取り上げられるようになった「ADHD」という病気。

2018年11月27日に「眞鍋かをり サンカクなきもち」に投稿した記事で、眞鍋かをりさんも”傾向あり”の診断を受けていたことを明かしました。

「ADHD」とは日本語に直すと「注意欠陥・多動性障害」と言い、多動性や衝動的な行動、不注意を症状の特徴とする神経発達症(成長発達不全)です。

過去にはこども特有の病気と考えられていた「ADHD」は、具体的にじっとしていることができなかったり、簡単に集中力が切れてしまう症状などがあります。

眞鍋かをりさんが語った内容では

(番組収録で)子役がちゃんと立ち位置に立ってるのに、私がうろうろ・・・思い出すたびスタッフさんに土下座して回りたくなります。
引用:眞鍋かをり サンカクな気持ち

と、じっとしてられない症状があったことを振り返っています。

他にも忘れ物が多かったり、人の話を遮って歌いだしてしまったりと失敗談は続くものの

すぐに専門のクリニックに駆け込んで、自分の症状を興奮気味に話すと
「確かにそういう傾向はあると思います。でも、今は社会生活をおくれているんですよね?」
引用:眞鍋かをり サンカクな気持ち

と、当時38歳となった眞鍋かをりさんには前述のような”あり得ないミス”が減ってきていることを伝えていました。

実際「ADHD」は、こどもの頃に多動の症状が見られても大人になると活動量が減ってほとんど問題にならなくなるケースもあるとされています。

眞鍋かをりさんは

悩んでいる方に「大丈夫!」というつもりはありません。重い症状に苦しんでいる方もいらっしゃるでしょう。
ただ、「もしかしたら、傾向ありかな?」と自分を疑う人に、綿足の若い頃の話が少しでも参考になればいいなと思ってます。
引用:眞鍋かをり サンカクな気持ち

と、記事を締めくくっています。

まとめ

眞鍋かをりさんは事務所の問題から裁判を起こしたこともあり、訴訟問題を起こすタレントとして認識されてしまったこともありました。

結婚の際も心無いコメントを浴びせられながらも子育てに励んでいる様子を発信している眞鍋かをりさん。

現在行っている児童虐待をなくす活動は素晴らしいものです。

眞鍋かをりさんは2020年現在で40歳。

歳をとったことで発達障害の症状も落ち着いていると話していることから、自身の歳の取り方にも納得しているようですね。

さらに子育てが忙しくなっていくのかも知れませんが、培った様々な経験を活かすことができるのではないでしょうか。

これからの芸能活動も楽しみですね。

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